わたしのブログ

※個人的感想やね。

「ジャム」から3年、好きになって3年。

関ジャニ∞を好きになって、まる3年経った。正確に言えば「ああ私って関ジャニ∞が好きなんだな、これはもう誤魔化せない域まできたわ」と、「好き」という気持ちに自覚を持てるようになってから3年。まだまだ新参者中の新参者だけど、割と飽き性というか、何か他に興味をひくものがあるとすぐ心変わりする私にしてはそこそこ長いこと関ジャニ∞に魅せられ続けている。この3年間ずっと私の中の1番は彼らで、本人たちも「色々あった」と振り返っている期間もそれはブレることはなかった。結成から18年、デビューからは16年経った彼らの長い歴史の中のこの3年間を見続けられたのは私にとって大袈裟ではなく本当に誇りに思えることだし、「もっと早く好きになっていれば」と思う事は無いと言えば嘘になるかもしれないけれど、あの日あのタイミングから関ジャニ∞が私にとっての一番の心の支えになっているのは今となっては必然のような気がする。

 

ちょうど3年前の2017年6月28日に発売されたアルバム「ジャム」を買ったこと。 それがきっかけとなって関ジャニ∞は「今1番気になるアイドル」からいつのまにか「生きてく上でなくてはならない存在」に変わった。

 

「ジャム」発売日の数週間前から、関ジャニ∞は気になる存在になっていた。1番最初のきっかけは、昔から好きだったドラマ「流星の絆」を久しぶりに全話見返して、やっぱり錦戸さんかっこいいな、と思ってそこから関ジャニ∞の動画を少しずつ見るようになったところから。クロニクルや関パニなどの「ザ・関ジャニ∞のバラエティ」を見ていくうちに、なんというか、チームワークがすごいな、と思った。全員がこんなにもバラバラな個性を持っているのに、いやバラバラだからこそ、それぞれが個々の役割を果たしている。それも、ほとんど意識せずにやっているように見える。こんなことは誰もがとうに気づいている関ジャニ∞の魅力のひとつだけれど、もともと大阪という地や関西弁が大好きで、NGKに足を運んでは生の新喜劇を何度も観てきた私がそんな関ジャニ∞を見てわくわくしないはずがなかった。全員かっこいいし(しかも皆それぞれ種類の違うかっこよさ)、音楽ができるし、面白いし、なにより関西弁を喋るし。知ってる曲は「ズッコケ男道」、「無責任ヒーロー」、「T.W.L」、あとは大阪が好きだからなんとなく好きで聴いていた「TAKOYAKI in my heart」ぐらい。そこから昔のCDを借りたりして徐々に知っている曲が増えていく感覚も楽しかった。

だけどもともと私にとってジャニーズは、「嵐の曲なら人並みに数十曲くらいは知ってる、良い曲多いよね」っていうくらいであとはまあ、たまーにジャニーズの人が出てるドラマとかを見てかっこいいなと思ったりする程度で、たぶん自分がどっぷり浸かって棲みつくことになる界隈ではないな、と勝手に決めつけていた。だって顔が良すぎるし。これは外野の人間が見ても分かる。こんな人たちを見続けてたら、ふとした時に惨めになりそう。キラキラしすぎてる。ジャニーズじゃないミュージシャンなら自分に近い存在なのかと言われれば決してそんな事は無いけれど、あまりにも自分自身とかけ離れ過ぎている。ジャニーズって全てが完璧で、ある意味隙がなくて、応援する人もきっと同じようにキラキラな人生を送ってるんだろうと思っていた。

だからそんな私が、「ジャニーズに属する関ジャニ∞というグループの新しいアルバムを、自分のお金を出して買うために、発売日にCDショップに足を運んだ」という事実が自分の中でとてつもなく大きな、イレギュラーな出来事で、今でもあの日CDショップの普段足を踏み入れないジャニーズコーナーを挙動不審になりながらうろうろしてた自分を思い出してどきどきする。  

そんなジャニーズド初心者の私が「ジャム」を買おうと決めたのは、楽曲提供をしているアーティストがあまりに豪華で、単純にこの錚々たるメンツが作った曲を関ジャニ∞がどう歌うのか気になったからだ。

予約もしていない。特典が何なのかも知らない。そもそもどういうコンセプトで作られたアルバムなのかもあまりよく知らない。ただ分かることは、私がこれまで 親しんできた音楽を作った人が制作した曲を、今1番気になるアイドル・関ジャニ∞が歌っている、そんな曲で詰まったアルバムだということだけ。

初回盤A.Bともに、ジャニーズコーナーの1番目立つところに並んでいて、在庫もまだたくさんあった。意外だった。ジャニーズのCDってもしかしたら予約していないと手に入らないかもな、と覚悟していたし、もしそうだとしたら諦めて帰るつもりだったのに、もうこうなったら本当に買って帰っていよいよ本格的に関ジャニ∞を応援する人生が待っているのかもしれない。

初回盤A.Bの違いがわからなかった私は、ポップに書かれていた詳細を見てすぐにAの方を買おうと決めた。1番大きな理由としてまず、中学時代の私にとっての「音楽」の全てだった、いきものがかりのリーダー、水野良樹さんが作詞作曲した「青春のすべて」のミュージックビデオが入っているから。第2に、Aの方に収録されているユニット曲に錦戸さんが参加しているから(このときはまだまだ安田担ではなかったし、ユニットが三馬鹿と年下で分かれているということも全く理解していなかった)。

どきどきしながらレジに持っていってお金を払って袋を受け取ると、特典のポスターまでついていて私はやや戸惑った。でもなぜかその丸まった状態で袋にさしてあるポスターを見ていたら、そうか、私はもう関ジャニ∞にお金を払ったんだ、という実感が湧いた。もう、このポスターを部屋に貼って堂々と関ジャニ∞が好きと言ってみたっていい。その勇気が今の私にあるかどうかは別として、それができる域まできたのかもな、と思った。CDを買ったから本当のファンだとかファンクラブに入っていないならファンを名乗れないとか、そういう線引きほど滑稽なものはないけれど、実際CDを手にしたときに「今までとは違うところに来た」という感覚になるのは事実だった。

そこから関ジャニ∞という存在はすっかり私のからだに馴染み、生活に溶け込んでいった。そして(具体的なきっかけは思い出せないけれど)、いつの間にか安田さんを1番に追いかけていた。

 

「ジャム」楽曲提供者の豪華さに惹かれたと書いたが、特にそのクレジットが私の目を引いたのは「青春のすべて」、「えげつない」、「DO NA I」、「今」だった。

中でも「青春のすべて」が1番、私にとってどきどきする組み合わせだった。

特典DVDで「青春のすべて」のミュージックビデオを見たとき、まず「なんだか不思議な感覚だな」と思った。このミュージックビデオは関ジャニ∞の7人が過ごす春夏秋冬を描いた映像で構成されているが、「四季」という日本人ならば生きていく中で誰もが必ず感じる普遍的なものを映しているところがあまりにも水野さんが作った曲にぴったりで嬉しかった。昔読んだいきものがかりのインタビュー記事の中で、水野さんは「『上を向いて歩こう』のような、聞き手を限定しない、誰にでも響く普遍的なメッセージを持った曲を書きたい。あの曲は、例えば仕事でミスをしたというような小さな挫折から、大切な人を失ったというような大きな悲しみまで、どんな感情にも寄り添える。」と話されていた。「青春のすべて」も例に漏れずそんな普遍性を持った曲だと私は思う。誰もが通る青春という日々を歌ったこの曲は、リリースされた当時から関ジャニ∞というグループのかたちが変わった今、また違う捉え方をしながら聴くことができる。それは、曲自体が持つ普遍性が、状況が変わってもその時その時に抱くすべての感情に寄り添ってくれるからだと思う。

いきものがかりの音楽の多くは、ギターの水野さん、山下さんが作詞作曲し、ボーカルの吉岡さんが歌う。作り手と歌い手にワンクッション置かれたこのかたちだからこそ、吉岡さんが「感情的」ではなく「語り手のように、歌の主人公に成りきるというよりも、物語を読むように」歌うことを可能にしているから、たくさんの人の心に届く。

「青春のすべて」も同じだ。水野さんの音楽を関ジャニ∞の歌声を通して聴くことで、中学時代の私が慣れ親しんできた水野さん節の効いた曲であるにも関わらず、一味も二味も違った聴き心地になる。好きになって間も無いアイドル関ジャニ∞が、懐かしいような、自分にとっての音楽の原点に帰ってきたような感覚になれるこの曲を歌っているというのが、なんとも不思議な気持ちだった。

水野さんはよく楽曲の中で、大切な人の象徴として「手」という言葉を使う。だから私はこの曲の中でも安田さんが歌っている「そして僕はなんどもその手を 思い出して泣きそうになって〜」の部分が特に好きだ。

 

「ジャム」の初回盤AのDVD特典には「青春のすべて」のミュージックビデオとは別に「フトコロノカタナ」という映像も入っている。そこでの安田さんのとある言葉がずっと心に残っていて、ことあるごとに思い出す。

安田さんは「フトコロノカタナ」の中で、音楽をやる、そしてギターを弾く上で「義務にならなければいい」と話していた。「こういうもんだ、と理解して義務的にこなしていったら全てが止まってしまう。そうなってしまったら意味がないから辞めたほうがいい」と。そしてそのあとのインタビュアーの方の「義務の反対って何ですか」という問いに安田さんは数十秒考えてから「全く違う言葉だけど〝無意識〟に繋がりますかね」と答えた。

私の胸の奥まで安田さんのこの言葉が響いたのは、ジャムを買ってから一年弱経った頃で、初めて見たときから少しだけブランクがあった。そのとき私はまさに「義務的に」音楽をやっていた。へんに体育会系なところがある、誰も断ち切ることができない悪き風潮が蔓延った大学のバンドサークルで、 私はギターを弾いていたのだ。こんなふうに良くない書き方をしているけれど私はなんだかんだサークルが好きで、部員も好きで、なにより音楽が大好きだった。だけど、「バンドを組む」ということで友達や先輩後輩としての付き合いだけでは見えない相手の良くない部分も見えてきたりして、居心地悪く感じることも少しはあったのだ。それ以外にも、後輩に頼れる先輩と思われ続けたいから、自分が組んでいるバンドとは別のバンドの後輩から頼まれた曲の耳コピを断れなくて一手に引き受けてしまい「わたしは全自動耳コピマシンじゃない」なんて思いながら音を取るためだけに夜な夜な音楽を聴き続けている自分に気付かないフリをしたりもしていた。私ってもともと、どんな好みじゃなさそうな曲も聴き続ければ好きになるタチだし、コピーする曲には必ず愛着が湧くし、だからこの曲も良いじゃん、と無理やり自分に言い聞かせながら。だけどやっぱり正直なところ「あーギター弾かなきゃ」とか「頼まれた耳コピしなきゃ」とか思いながらやってるし、これってなんか違くないか?こんなことならバンド組まずに一人好き勝手弾いてた方が楽しいんじゃないか?と思ったりしていた。

だから安田さんのその言葉を聞いたとき、正直私は少しも励まされなかった。むしろ突き放されたような感覚の方が大きかった。まさに私は今、辞めるべき人間じゃないか?だけど、少し考えてみて思った。私は音楽自体もサークルも辞めたいわけじゃない。どっちも好きだからこそ状況を変えたい。私が今いる場所は言ってしまえば私のギターじゃなくても成立する場所だ。たかだか大学のサークル、私が急にいなくなっても代理を立てればどうにかなる場所で私はギターを弾いているんだから、もっと気楽に楽しんでやればいいんじゃないかという考え方をしてみると楽になった。これは決して捻くれてマイナスな方向に考えが進んでいった結果辿り着いた答えではない。安田さんのこの言葉にショックを受けたことでむしろ肩に入りすぎていた力が抜けて、それ以降はこれまで以上に気楽に、楽しんでやることができた。安田さんはトップアイドルで、安田さんのギターを、歌を、関ジャニ∞として奏でる音楽を生きがいにして、待っている人がたくさんいる。そんな中でも彼は肩肘張らずにまるで呼吸するように、思いのままに、無意識に、音楽を楽しんでいる。そしてその姿に私たちは魅せられている。それなのにそんな安田さんを好きな私が、小さい頃から大好きな音楽をつまらなく感じるような生き方をするのはもったいないし、馬鹿馬鹿しい事なのかもしれないと思った。バンドをやっていて少しくらい人の嫌な部分が見えても、人を嫌いになるのって好きになること以上にエネルギーを使うから簡単に嫌いにはなれないし、良いところの方が大きく見えるから嫌な部分にいちいち悶々とする必要ないし。忙しいからと言って頼まれたことを断ったくらいで離れていくような浅い関係の後輩じゃないんだから断れば良いし。そう捉えられる、「大学のサークル」という程度の場が悩みの種だったからこんなにも楽に受け入れられたのかもしれないけれど、安田さんの言葉が私に与えた影響が大きかったことは間違い無い。安田さんが自身のアイドルという仕事をこなす上で話したことを、私のこんな小さな悩みに重ねるのはお門違いかもしれないが、あまりに心に深く刺さって消えなかったのだ。(余談だがこの「義務の反対は無意識」という安田さんの言葉は、私が卒業制作で書いた小説の中にも登場させた)。

安田さんのこの言葉に出会えただけでも、あのとき「ジャム」を買って本当に良かったなと今でも思える。

 

 

私にとって本格的に関ジャニ∞を応援するようになったターニングポイントとも言える「ジャム」の発売から3年。その中でグループの形が大きく変わる出来事が2度起き、不安定だったと言える時期もあった。最初にも書いたように、その中でも私は少しも余所見せず追い続けてきて今、3年前と比べ物にならないくらい自分の中で関ジャニ∞は大きな存在となっている。いちファンでしかない自分がこんなにも応援している対象に感謝の気持ちを抱いたことはないし、こんなにも幸せを願ったこともない。だけどそれは、不安定な時も彼らが勢いを落とさずずっと私たちファンの手を強く引いてきてくれたからだし、ときに人間臭さを丸出しにして感情むき出しで言葉を紡いだり音楽を奏でたりする「アイドルらしからぬ姿」とも言える彼らの表現のしかたに本気で惹かれたからだ。

関ジャニ∞は、それまで私が偏見を抱いていたアイドル像を変えた。

今年でデビュー16年目の関ジャニ∞だけど、今の5人でこれから16年以上先も走り続けて欲しいと心から思うし、私もそれを見続けられたらな、と思う。

正直、この世は本当に魅力的な芸術で溢れていて、私は自分がこんな性格だからいつ心変わりするか分からない恐怖に似た感覚はずっと持っている。これまで色んなものに心を奪われてきて、その都度そのときの自分が出せる最大の熱量を持って応援してきた。それでも時間が経てば新しいものに惹かれ、いつの間にか心が離れているということが何度もあった。だけど嫌いになって離れたことは一度もない。1番熱を持って応援する対象が変わっても、いちど大好きになったものはどれだけ時間が経っても私を作る構成要素としてずっと残っている。そして関ジャニ∞はもうとっくに、相当大きな要素として私の中に蓄積している。万一心が別のところへ移ったとしても絶対に消えない(※今の私には関ジャニ∞から心が離れるなんて全く想像がつかないし、そうなる気配は1ミリもない無いどころか、好きになって3年という私にしては長い時間が経ってもなお、日を追うごとに大好きな気持ちが増している)。綺麗事に聞こえるかもしれないがこれは本当で、大好きなものはいつまでも大好きなのだ。

正直者の私は「一生追いかけ続けるよ!」ではなくて「一生大好きだよ!」と心の中で叫びながら4年目も生きる。