わたしのブログ

※個人的感想やね。

「関ジャニでよかった」の広告を見て思ったことと再録のこと

関ジャニでよかった」というコピー、単純にすごく嬉しい。「初めて好きになったアイドルが関ジャニでよかった」と大声で返す。

その反面このコピーは元メンバー2人が脱退という選択をしたことを否定していると言ったニュアンスの意見をいくつかみかけた。わたしは「関ジャニでよかった」にはもちろん7人、6人だった時期も含まっていると思う。だからメンバーの脱退を乗り越えて今ファンの目の前に立ってる5人がそういう苦しい時期もひっくるめて「関ジャニでよかった」と言っているように見えて、最強にかっこいいと思った。あくまで5人が「しんどい日々も乗り越えて今関ジャニでいる己を賛称」しているように見えたわたしには、このコピーから脱退の選択をしたことへの否定といった捻くれた感情は一切感じない。グループに残ったことが偉いとか、そういう事じゃない。

というか、ごちゃごちゃ言っても今は「関ジャニ∞は5人」というのが動かない事実だし、これからも5人でやっていくのだから、その5人が今グループでいることを肯定したコピーを掲げることに否定的な感情はこれっぽちも湧かない。

だから7人、6人時代の曲の再録もすごく嬉しい。

再録の曲には、グループとしての「進化」が詰まっていると思う。そしてそれは、ボイトレを重ねてやっと完成させた新曲にも、楽器の腕を上げて作り上げたインストにも劣らない。

たとえば、泥臭く魂を歌っていたのに、余裕が生まれてなんだかスタイリッシュに変化したりしていて寂しさを感じる気持ちがあっても、それもグループが変化していく過程で遂げた進化なんだと思うと、生身の人間を推していることを実感できて嬉しい。

既存曲をなんだか触れたくても触れられないものにしてしまって大事に箱にしまうよりも、もっともっと5人の色に塗り替えてほしい。どんどん新しく生まれ変わるべき曲がある。変化を目の当たりにして、曲が生きてる。と感じた。それを7人、6人時代の否定と取る人も多いと思うが、わたしは寧ろ(短いながらも)7人、6人時代も見てきたからこそ曲を生かし続けて欲しいと思う。

ライブだって常に新曲だけをやる訳じゃないんだし、これからも5人でやっていく関ジャニ∞にはどんどんアップデートして、今の関ジャニ∞じゃ歌えない曲なんてないくらい最強になってほしい。 

「 crystal」や「ここに」や「無限大」の再録バージョンがeighter盤にしか収録されていないことが、少しもったいなく感じすらした。再録の曲にも、新曲と同じように今はまだ関ジャニを詳しく知らない人に関ジャニを好きになってもらうきっかけになりうると思うし、5人の歌にはそういうパワーがあると思う。大事な曲達をどんどん生まれ変わらせていく事こそ、過去を大事にすることに繋がるのでは?

 

ただ、今回5人が掲げた「関ジャニでよかった」という言葉についてひとつだけ思うのは、広告のコピーやハッシュタグだけではなく、本人たちの口からこの言葉を聞くことができたら、それが一番嬉しいなということ。

これからツアーが始まって5人がeighterと対面していく中で、この言葉が「アルバムを売るための宣伝文句」から「自然にぽろっと出た本音」になったらいいなあと心の底から思う。

 

まるちゃんPERSON読んだよー

 

※6月11日に発売された丸山隆平さん表紙のTVガイドPERSONのインタビュー内容に感激したいち関ジャニ∞ファン(安田担)が、個人的な解釈で書いた超個人的な読書感想文みたいなもんです。深読みしがち。

 

突然だが、私は雑誌「TVガイドPERSON」が好きだ。関ジャニ∞の5人が表紙を飾った号しかまともに読んだことがない人間が何を偉そうに、という感じだが、大好きな人たちが表紙を飾ると知ったときの喜びが他の雑誌のときよりも大きいという紛れもない事実がそれを証明している。

その雑誌名の通り、これでもかというくらい「人物」にビカーっと一点のブレもないスポットライトが当たっていて、いたってシンプルな質問からその人の心の奥底にある熱いものを探っていく見事な過程が、読み応え抜群のインタビュー内容の要となっている気がする。

そしてPERSONの醍醐味は何と言ってもキャッチコピーだ。今回の丸山さんの号は「丸山隆平、我人生旅 愛にいかされ生きてます」。

どれも的確でありながら、その文字を目にしたときにどこか新鮮な気持ちにもさせられる。

このキャッチコピー、「今の自分を褒めるなら?」という質問に対して出た答えから付けられているということを大倉忠義さん表紙の号(vol.93・今年5月9日発売)で知った。つまりその「人」を別の人間(ここで言うなら雑誌「PERSON」側)が見た客観的視点だけではなく、本人が思う自分自身の像、言うならば主観的な要素も含めて出来上がるキャッチコピーだということだ。まさにPERSONって感じだ!と思った。対象の人物の、隠されていた新たな部分を引き出しつつも、これまで私たちが抱いていたイメージ通りの人間像もそのまま短い言葉の中にしっかりと含んである。

大好きな人が特集されたものを読むと何故か読み手であるこちらが少し照れ臭いような気持ちになるのは、このキャッチコピーのおかげかもしれない。

 

そんなPERSON、6月11日に発売された丸山隆平さん表紙の号(vol.94)も、しっかり発売日に買ってその日のうちに読んだ。そのインタビューの中で彼が発していたある言葉があまりにも良くて、初めて読んだ時に思わず心の中で「良い!丸ちゃんナイス!」と叫んでしまった。以来咀嚼してはそのたび「あーやっぱり良い」と噛み締め、愛にいかされて生きている丸山さんの凛とした表情が素敵なその表紙を見つめ両腕でぎゅっ…と抱きしめてしまう。

発売日からだいぶ時間が経ってしまったけれど、改めてここでしっかり文章にまとめたいと思ったので、またしても私のくだらん個人的な話も込みで丸山さんの最高な言葉を振り返る。

 

丸山さんのその言葉は、まさに「今の自分を褒めるなら?」というキャッチコピーに繋がる質問に対する答えだった。

「お前にしてはいい人生だね」かな。まさかここまでいろんな方に愛でていただける人生だとは思ってもいませんでした。京都の何の取りえもない、ちょっと長距離を走るのが速いだけの男の子が、こんなにテレビに出させてもらって…。(中略) いやあ、僕にしてはいい人生やなって思いますよ。これじゃ手に余るから、何かの恩返しをしていく人生なんだろうなって思っています。

何でも他人と比べては自分自身の不甲斐なさに落胆しがちな私に、この丸山さんの言葉の中でも特に「お前にしては」の部分があまりにも真っ直ぐに突き刺さり、記事を全て読み終えてからもしばらく頭から離れなかった。

「今の自分を褒めるなら?」という問いの答えを導くべく自身の「人生」を振り返る上で、決して他人の生き方をそこに持ち出して比べたりしていない。あくまでそこにあるのは丸山さん自身がこれまで歩んできた道のみ。それを「〝お前にしては〟いい人生」と振り返って褒めることは、一見謙虚に思えるが最高の自己評価だと私は思う。

彼は続けて「いろんな方に愛でていただいた」と話しているが、その人たちをも我が人生を彩った大事な要素のひとつとして従えているような潔さすら感じられた。そしてその方々へ恩返しをすることがこれからの人生だと話す彼は、まさにアイドルそのものだった。その恩返しこそが彼の届けるエンターテイメントであり、そしてまた生き様なのだと思うと、最高に格好良くて痺れる。

 

私自身、これは自分の特技だと思っていて誇っていることも、他人が私なんかよりもっと上手くやってのけている様子を見たらだいぶ落胆して自信を失ってしまうことが今でもたまにある。それがいかに馬鹿馬鹿しい事か分かっていても、少しでも「これ得意かも」と調子に乗っていた自分を打ちのめしてやりたくなるもう一人の私がいて、そいつと上手く付き合うことが難しいからなかなかこのループからは抜け出せない。人は人、自分は自分と己に言い聞かせたって、たくさんの他人の存在があってそれらと比べたときにやっと自分の価値や立ち位置が確立するのだという考えもずっと根本にあって、どうしてもそっちが勝ってしまう。

それでも最近になって私は(主に関ジャニ∞の5人の生き様を見ていくうちに)、他人ではなく過去の自分と比べて「私にしてはよくやった」と今の自分を褒めて生きていけたらもっと自分を好きになれるよなと気づいた。向上心だって、自分より優れた他人と比べて悲観するよりもよっぽど高く保てる。しかし同時に、それがいかに難しいことであるかも思い知った。それをすると、どうしても井の中の蛙になりかねないという懸念してしまう気持ちを拭いきれないのだ。「私」を語る上で、その話の中に「私」しか登場さないのはかなり勇気がいる。

そんな考えを持っていた私だからこそ、丸山さんの自己評価は理想そのものだった。

言ってしまえば「自分」という人間そのものが商売道具で、人気に左右されるアイドルという職業(丸山さん自身もインタビューの中で「ある意味水商売」と話している)を全うするには、自身を客観視することが実はすごく大切なのかもしれないと感じた。過大評価もしすぎず、かといって決して自分を下げることもしない。誰かと比べるのではなくあくまで自分という人間のみにピントを合わせて、ニュートラルに。そして自分をかたち作ってくれた他者もしっかり敬いながら自身を評価する。単純に、そういうことができるアイドルを応援できていることが嬉しくなった。

 

そしてこの〝お前にしては〟という言葉、アイドルとしての道を選ばず全く別の人生を歩む、もうひとりの丸山さんの存在を意識して出た言葉のようにも感じ取れる。

私たちが全く意識していないような小さな場面から大きな選択肢を迫られる場面まで、人生の分かれ道はたくさん存在している。例えばたまたまつけたテレビで流れていた音楽に心奪われ、それを機にその音楽が自分が生きていく上でなくてはならない存在になったり、一番就きたいと思っていた仕事に就けず、諦めると同時にそこで初めて他のことに目を向け、その場所でまた別の自分に合うかもしれないと思える仕事を見つけることが出来たり。

そういう様々な場面から私たちの人生は色んな方向に枝分かれしていて、時にじっくりと考え、時にほとんど何も考えずに無意識に、私たちは道を選択している。

丸山さんの場合、ジャニーズのオーディションに受かったことに気づかずに次の年に2回目のオーディションへと足を運んで晴れて事務所に入社したが、もし2度オーディションに行かなかったら今とは全く違う人生になっていたかもしれないのだ。そのことがこのインタビューのときに丸山さんの頭に浮かんでいたかどうかはわからない。あくまで私の勝手な妄想でしかないが、もしかしたらアイドルにはならずに普通の京都の男の子としての人生を歩んでいたかもしれない、そんなお前にしてはアイドルになる道を選んで、結果いろんな人に愛してもらえるなんて良い人生じゃないか、というふうにも捉えられる気がした。

そう考えると、今こうして関ジャニ∞のメンバーとして活動する5人を応援できている今の私の人生すらも、たくさんの奇跡が重なって生まれたもののように感じる。

 

こんなふうにして丸山さんが自分を褒めた結果、「丸山隆平、我人生旅 愛にいかされ生きてます」というキャッチコピーが生まれたのだ。

「我人生旅」の部分は自分を自分として褒めることのできる丸山さんの強さ、「愛にいかされ生きてます」の部分はそんな自分の人生を彩った他者への愛情を忘れずに持つのとのできる丸山さんの優しさだと私は思う。

 

次に関ジャニ∞が特集されるのは誰で、どんなキャッチコピーが生まれるのか楽しみで仕方ない。

 

 

 

TVガイドPERSON VOL.94 (TOKYO NEWS MOOK 864号)

TVガイドPERSON VOL.94 (TOKYO NEWS MOOK 864号)

  • 発売日: 2020/06/11
  • メディア: ムック
 

 



「ジャム」から3年、好きになって3年。

関ジャニ∞を好きになって、まる3年経った。正確に言えば「ああ私って関ジャニ∞が好きなんだな、これはもう誤魔化せない域まできたわ」と、「好き」という気持ちに自覚を持てるようになってから3年。まだまだ新参者中の新参者だけど、割と飽き性というか、何か他に興味をひくものがあるとすぐ心変わりする私にしてはそこそこ長いこと関ジャニ∞に魅せられ続けている。この3年間ずっと私の中の1番は彼らで、本人たちも「色々あった」と振り返っている期間もそれはブレることはなかった。結成から18年、デビューからは16年経った彼らの長い歴史の中のこの3年間を見続けられたのは私にとって大袈裟ではなく本当に誇りに思えることだし、「もっと早く好きになっていれば」と思う事は無いと言えば嘘になるかもしれないけれど、あの日あのタイミングから関ジャニ∞が私にとっての一番の心の支えになっているのは今となっては必然のような気がする。

 

ちょうど3年前の2017年6月28日に発売されたアルバム「ジャム」を買ったこと。 それがきっかけとなって関ジャニ∞は「今1番気になるアイドル」からいつのまにか「生きてく上でなくてはならない存在」に変わった。

 

「ジャム」発売日の数週間前から、関ジャニ∞は気になる存在になっていた。1番最初のきっかけは、昔から好きだったドラマ「流星の絆」を久しぶりに全話見返して、やっぱり錦戸さんかっこいいな、と思ってそこから関ジャニ∞の動画を少しずつ見るようになったところから。クロニクルや関パニなどの「ザ・関ジャニ∞のバラエティ」を見ていくうちに、なんというか、チームワークがすごいな、と思った。全員がこんなにもバラバラな個性を持っているのに、いやバラバラだからこそ、それぞれが個々の役割を果たしている。それも、ほとんど意識せずにやっているように見える。こんなことは誰もがとうに気づいている関ジャニ∞の魅力のひとつだけれど、もともと大阪という地や関西弁が大好きで、NGKに足を運んでは生の新喜劇を何度も観てきた私がそんな関ジャニ∞を見てわくわくしないはずがなかった。全員かっこいいし(しかも皆それぞれ種類の違うかっこよさ)、音楽ができるし、面白いし、なにより関西弁を喋るし。知ってる曲は「ズッコケ男道」、「無責任ヒーロー」、「T.W.L」、あとは大阪が好きだからなんとなく好きで聴いていた「TAKOYAKI in my heart」ぐらい。そこから昔のCDを借りたりして徐々に知っている曲が増えていく感覚も楽しかった。

だけどもともと私にとってジャニーズは、「嵐の曲なら人並みに数十曲くらいは知ってる、良い曲多いよね」っていうくらいであとはまあ、たまーにジャニーズの人が出てるドラマとかを見てかっこいいなと思ったりする程度で、たぶん自分がどっぷり浸かって棲みつくことになる界隈ではないな、と勝手に決めつけていた。だって顔が良すぎるし。これは外野の人間が見ても分かる。こんな人たちを見続けてたら、ふとした時に惨めになりそう。キラキラしすぎてる。ジャニーズじゃないミュージシャンなら自分に近い存在なのかと言われれば決してそんな事は無いけれど、あまりにも自分自身とかけ離れ過ぎている。ジャニーズって全てが完璧で、ある意味隙がなくて、応援する人もきっと同じようにキラキラな人生を送ってるんだろうと思っていた。

だからそんな私が、「ジャニーズに属する関ジャニ∞というグループの新しいアルバムを、自分のお金を出して買うために、発売日にCDショップに足を運んだ」という事実が自分の中でとてつもなく大きな、イレギュラーな出来事で、今でもあの日CDショップの普段足を踏み入れないジャニーズコーナーを挙動不審になりながらうろうろしてた自分を思い出してどきどきする。  

そんなジャニーズド初心者の私が「ジャム」を買おうと決めたのは、楽曲提供をしているアーティストがあまりに豪華で、単純にこの錚々たるメンツが作った曲を関ジャニ∞がどう歌うのか気になったからだ。

予約もしていない。特典が何なのかも知らない。そもそもどういうコンセプトで作られたアルバムなのかもあまりよく知らない。ただ分かることは、私がこれまで 親しんできた音楽を作った人が制作した曲を、今1番気になるアイドル・関ジャニ∞が歌っている、そんな曲で詰まったアルバムだということだけ。

初回盤A.Bともに、ジャニーズコーナーの1番目立つところに並んでいて、在庫もまだたくさんあった。意外だった。ジャニーズのCDってもしかしたら予約していないと手に入らないかもな、と覚悟していたし、もしそうだとしたら諦めて帰るつもりだったのに、もうこうなったら本当に買って帰っていよいよ本格的に関ジャニ∞を応援する人生が待っているのかもしれない。

初回盤A.Bの違いがわからなかった私は、ポップに書かれていた詳細を見てすぐにAの方を買おうと決めた。1番大きな理由としてまず、中学時代の私にとっての「音楽」の全てだった、いきものがかりのリーダー、水野良樹さんが作詞作曲した「青春のすべて」のミュージックビデオが入っているから。第2に、Aの方に収録されているユニット曲に錦戸さんが参加しているから(このときはまだまだ安田担ではなかったし、ユニットが三馬鹿と年下で分かれているということも全く理解していなかった)。

どきどきしながらレジに持っていってお金を払って袋を受け取ると、特典のポスターまでついていて私はやや戸惑った。でもなぜかその丸まった状態で袋にさしてあるポスターを見ていたら、そうか、私はもう関ジャニ∞にお金を払ったんだ、という実感が湧いた。もう、このポスターを部屋に貼って堂々と関ジャニ∞が好きと言ってみたっていい。その勇気が今の私にあるかどうかは別として、それができる域まできたのかもな、と思った。CDを買ったから本当のファンだとかファンクラブに入っていないならファンを名乗れないとか、そういう線引きほど滑稽なものはないけれど、実際CDを手にしたときに「今までとは違うところに来た」という感覚になるのは事実だった。

そこから関ジャニ∞という存在はすっかり私のからだに馴染み、生活に溶け込んでいった。そして(具体的なきっかけは思い出せないけれど)、いつの間にか安田さんを1番に追いかけていた。

 

「ジャム」楽曲提供者の豪華さに惹かれたと書いたが、特にそのクレジットが私の目を引いたのは「青春のすべて」、「えげつない」、「DO NA I」、「今」だった。

中でも「青春のすべて」が1番、私にとってどきどきする組み合わせだった。

特典DVDで「青春のすべて」のミュージックビデオを見たとき、まず「なんだか不思議な感覚だな」と思った。このミュージックビデオは関ジャニ∞の7人が過ごす春夏秋冬を描いた映像で構成されているが、「四季」という日本人ならば生きていく中で誰もが必ず感じる普遍的なものを映しているところがあまりにも水野さんが作った曲にぴったりで嬉しかった。昔読んだいきものがかりのインタビュー記事の中で、水野さんは「『上を向いて歩こう』のような、聞き手を限定しない、誰にでも響く普遍的なメッセージを持った曲を書きたい。あの曲は、例えば仕事でミスをしたというような小さな挫折から、大切な人を失ったというような大きな悲しみまで、どんな感情にも寄り添える。」と話されていた。「青春のすべて」も例に漏れずそんな普遍性を持った曲だと私は思う。誰もが通る青春という日々を歌ったこの曲は、リリースされた当時から関ジャニ∞というグループのかたちが変わった今、また違う捉え方をしながら聴くことができる。それは、曲自体が持つ普遍性が、状況が変わってもその時その時に抱くすべての感情に寄り添ってくれるからだと思う。

いきものがかりの音楽の多くは、ギターの水野さん、山下さんが作詞作曲し、ボーカルの吉岡さんが歌う。作り手と歌い手にワンクッション置かれたこのかたちだからこそ、吉岡さんが「感情的」ではなく「語り手のように、歌の主人公に成りきるというよりも、物語を読むように」歌うことを可能にしているから、たくさんの人の心に届く。

「青春のすべて」も同じだ。水野さんの音楽を関ジャニ∞の歌声を通して聴くことで、中学時代の私が慣れ親しんできた水野さん節の効いた曲であるにも関わらず、一味も二味も違った聴き心地になる。好きになって間も無いアイドル関ジャニ∞が、懐かしいような、自分にとっての音楽の原点に帰ってきたような感覚になれるこの曲を歌っているというのが、なんとも不思議な気持ちだった。

水野さんはよく楽曲の中で、大切な人の象徴として「手」という言葉を使う。だから私はこの曲の中でも安田さんが歌っている「そして僕はなんどもその手を 思い出して泣きそうになって〜」の部分が特に好きだ。

 

「ジャム」の初回盤AのDVD特典には「青春のすべて」のミュージックビデオとは別に「フトコロノカタナ」という映像も入っている。そこでの安田さんのとある言葉がずっと心に残っていて、ことあるごとに思い出す。

安田さんは「フトコロノカタナ」の中で、音楽をやる、そしてギターを弾く上で「義務にならなければいい」と話していた。「こういうもんだ、と理解して義務的にこなしていったら全てが止まってしまう。そうなってしまったら意味がないから辞めたほうがいい」と。そしてそのあとのインタビュアーの方の「義務の反対って何ですか」という問いに安田さんは数十秒考えてから「全く違う言葉だけど〝無意識〟に繋がりますかね」と答えた。

私の胸の奥まで安田さんのこの言葉が響いたのは、ジャムを買ってから一年弱経った頃で、初めて見たときから少しだけブランクがあった。そのとき私はまさに「義務的に」音楽をやっていた。へんに体育会系なところがある、誰も断ち切ることができない悪き風潮が蔓延った大学のバンドサークルで、 私はギターを弾いていたのだ。こんなふうに良くない書き方をしているけれど私はなんだかんだサークルが好きで、部員も好きで、なにより音楽が大好きだった。だけど、「バンドを組む」ということで友達や先輩後輩としての付き合いだけでは見えない相手の良くない部分も見えてきたりして、居心地悪く感じることも少しはあったのだ。それ以外にも、後輩に頼れる先輩と思われ続けたいから、自分が組んでいるバンドとは別のバンドの後輩から頼まれた曲の耳コピを断れなくて一手に引き受けてしまい「わたしは全自動耳コピマシンじゃない」なんて思いながら音を取るためだけに夜な夜な音楽を聴き続けている自分に気付かないフリをしたりもしていた。私ってもともと、どんな好みじゃなさそうな曲も聴き続ければ好きになるタチだし、コピーする曲には必ず愛着が湧くし、だからこの曲も良いじゃん、と無理やり自分に言い聞かせながら。だけどやっぱり正直なところ「あーギター弾かなきゃ」とか「頼まれた耳コピしなきゃ」とか思いながらやってるし、これってなんか違くないか?こんなことならバンド組まずに一人好き勝手弾いてた方が楽しいんじゃないか?と思ったりしていた。

だから安田さんのその言葉を聞いたとき、正直私は少しも励まされなかった。むしろ突き放されたような感覚の方が大きかった。まさに私は今、辞めるべき人間じゃないか?だけど、少し考えてみて思った。私は音楽自体もサークルも辞めたいわけじゃない。どっちも好きだからこそ状況を変えたい。私が今いる場所は言ってしまえば私のギターじゃなくても成立する場所だ。たかだか大学のサークル、私が急にいなくなっても代理を立てればどうにかなる場所で私はギターを弾いているんだから、もっと気楽に楽しんでやればいいんじゃないかという考え方をしてみると楽になった。これは決して捻くれてマイナスな方向に考えが進んでいった結果辿り着いた答えではない。安田さんのこの言葉にショックを受けたことでむしろ肩に入りすぎていた力が抜けて、それ以降はこれまで以上に気楽に、楽しんでやることができた。安田さんはトップアイドルで、安田さんのギターを、歌を、関ジャニ∞として奏でる音楽を生きがいにして、待っている人がたくさんいる。そんな中でも彼は肩肘張らずにまるで呼吸するように、思いのままに、無意識に、音楽を楽しんでいる。そしてその姿に私たちは魅せられている。それなのにそんな安田さんを好きな私が、小さい頃から大好きな音楽をつまらなく感じるような生き方をするのはもったいないし、馬鹿馬鹿しい事なのかもしれないと思った。バンドをやっていて少しくらい人の嫌な部分が見えても、人を嫌いになるのって好きになること以上にエネルギーを使うから簡単に嫌いにはなれないし、良いところの方が大きく見えるから嫌な部分にいちいち悶々とする必要ないし。忙しいからと言って頼まれたことを断ったくらいで離れていくような浅い関係の後輩じゃないんだから断れば良いし。そう捉えられる、「大学のサークル」という程度の場が悩みの種だったからこんなにも楽に受け入れられたのかもしれないけれど、安田さんの言葉が私に与えた影響が大きかったことは間違い無い。安田さんが自身のアイドルという仕事をこなす上で話したことを、私のこんな小さな悩みに重ねるのはお門違いかもしれないが、あまりに心に深く刺さって消えなかったのだ。(余談だがこの「義務の反対は無意識」という安田さんの言葉は、私が卒業制作で書いた小説の中にも登場させた)。

安田さんのこの言葉に出会えただけでも、あのとき「ジャム」を買って本当に良かったなと今でも思える。

 

 

私にとって本格的に関ジャニ∞を応援するようになったターニングポイントとも言える「ジャム」の発売から3年。その中でグループの形が大きく変わる出来事が2度起き、不安定だったと言える時期もあった。最初にも書いたように、その中でも私は少しも余所見せず追い続けてきて今、3年前と比べ物にならないくらい自分の中で関ジャニ∞は大きな存在となっている。いちファンでしかない自分がこんなにも応援している対象に感謝の気持ちを抱いたことはないし、こんなにも幸せを願ったこともない。だけどそれは、不安定な時も彼らが勢いを落とさずずっと私たちファンの手を強く引いてきてくれたからだし、ときに人間臭さを丸出しにして感情むき出しで言葉を紡いだり音楽を奏でたりする「アイドルらしからぬ姿」とも言える彼らの表現のしかたに本気で惹かれたからだ。

関ジャニ∞は、それまで私が偏見を抱いていたアイドル像を変えた。

今年でデビュー16年目の関ジャニ∞だけど、今の5人でこれから16年以上先も走り続けて欲しいと心から思うし、私もそれを見続けられたらな、と思う。

正直、この世は本当に魅力的な芸術で溢れていて、私は自分がこんな性格だからいつ心変わりするか分からない恐怖に似た感覚はずっと持っている。これまで色んなものに心を奪われてきて、その都度そのときの自分が出せる最大の熱量を持って応援してきた。それでも時間が経てば新しいものに惹かれ、いつの間にか心が離れているということが何度もあった。だけど嫌いになって離れたことは一度もない。1番熱を持って応援する対象が変わっても、いちど大好きになったものはどれだけ時間が経っても私を作る構成要素としてずっと残っている。そして関ジャニ∞はもうとっくに、相当大きな要素として私の中に蓄積している。万一心が別のところへ移ったとしても絶対に消えない(※今の私には関ジャニ∞から心が離れるなんて全く想像がつかないし、そうなる気配は1ミリもない無いどころか、好きになって3年という私にしては長い時間が経ってもなお、日を追うごとに大好きな気持ちが増している)。綺麗事に聞こえるかもしれないがこれは本当で、大好きなものはいつまでも大好きなのだ。

正直者の私は「一生追いかけ続けるよ!」ではなくて「一生大好きだよ!」と心の中で叫びながら4年目も生きる。